◇2020年度北海道大会プログラム

※参加登録の申込期限を延長しました

  • 日時 2020年11月22日(日)13:30開会(TV会議入室は13:15より)
  • 開催方法および参加方法について
    • WebExによるオンライン開催となります(一般聴講歓迎)
    • 参加を希望される方は、11月16日(月)17時11月18日(水)17時までに北海道支部事務局までその旨ご連絡ください。参加者として事前登録したうえで、資料や接続方法についてご連絡します。

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〈開会の辞〉  種田 和加子(藤女子大学

総合司会:村田 裕和(北海道教育大学旭川校

■研究発表 13:35-15:15
円地文子「冬の旅――死者との対話」における老女と幽霊
齊田 春菜(北海道大学大学院文学院)司会 中村 建(北海道大学大学院文学院)

<休憩>

瀧口修造のデカルコマニー―〈傲然たる闖入者〉との対話
秋元 裕子(北海学園大学非常勤講師)司会 横田 肇(星槎道都大学

<休憩>

■講演 15:30-16:45
詩と言語と翻訳について
講師 田 原(城西国際大学客員教授司会 村田 裕和(北海道教育大学旭川校

〈閉会の辞〉        中村 三春(支部長、北海道大学

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【発表要旨】

〈研究発表〉
円地文子「冬の旅――死者との対話」における老女と幽霊齊田 春菜(北海道大学大学院文学院)
 円地文子は、1970年に自決した三島由紀夫について「三島由紀夫の死・響き」(『新潮』1971.2)の中で、「三島氏については沢山考え、沢山語りたいことがある。[…]いつの日か、私は小説の定まらない形で、心にあるものをたどたどしく語ってみたいと思っている。それだけが恐らく、三島氏の墓前に捧げる私のささやかな花束となるであろう」と述べた。その後、円地は1971年11月『新潮』に語り手の「私」が書庫で「ダヌンチオの詩劇「聖セバスチアンの殉教」の訳本」(288頁)を探しているとM氏の「幽霊」(288頁)に「本はありますよ」(288頁)と声をかけられて、対話が始まる「冬の旅――死者との対話」を執筆した。M氏は、三島がモデルである。この訳本は、三島が池田弘太郎と共訳した『聖セバスチァンの殉教 霊験劇・名画集』(美術出版社、1966.9)との関わりからにほかならない。原書は、ガブリエル・ダンヌンツィオ原作、ドビュッシー作曲で1911年に発表した霊験劇Le Martyre de Saint Sébastienである。この訳本に導かれるようにM氏は登場する。
 「冬の旅――死者との対話」は、実在する書物を挿入する一方で、作中作の「冬の旅」というM氏について書かれた追悼文が出て来る。この追悼文の後半で先の死者と探しものの関係に通じるような老女が描写される。このことは、1970年前後から最晩年にかけて円地が「老女の視点から、いろいろ発展していくといったような作品」(『國文学 解釈と教材の研究』1976.7)と述べた一連の「老女もの」として本作を位置づけられるだろう。なぜなら、語り手の「私」が老女であり、加えて「私」が書いて「半年以上もそこにほうってあ」(289頁)った「冬の旅」の後半で老女も重要な役割を担うからである。
 このように「冬の旅――死者との対話」では、書物と幽霊、老女の関係を対比的に考察ができると考える。したがって本発表では、円地文子「冬の旅――死者との対話」における老女の効果や役割、あるいはそのイメージを三島らが訳した『聖セバスチァンの殉教』を適宜参照し、考察を試みたい。

瀧口修造のデカルコマニー―〈傲然たる闖入者〉との対話秋元 裕子(北海学園大学非常勤講師)
 詩人・美術批評家瀧口修造(1903~1979)は、1962年12月、東京・南画廊で開かれた彼自身の個展に寄せた文章で、次のように述べた。「いわゆるデカルコマニーの手法は一九三六年か七年頃、シュルレアリストのオスカー・ドミンゲスが始めたもので、当時、私たちもこころみた。(略・引用者)そして十五年目に、こんどは突然やってきた。向こうからである」(瀧口修造「百の眼の物語」大岡信他監修『コレクション・瀧口修造(四)』みすず書房、1993年、132~133頁)。デカルコマニーは、浸透性の低い材質の紙に流動性のあまりないグアッシュと呼ばれる絵の具を広げ、別の紙をその上に重ねて、めくったときに偶然できた影像を定着させる手法である。この「突然」・「向こうから」やってきたデカルコマニーの影像イメージについて、瀧口は「傲然」たる「闖入者」であるとも述べている。
 画家谷川晃一(1938~)は、そのような瀧口のデカルコマニーに対して、「デカルコマーの世界は氏(瀧口―引用者による)の言うように、ただの物理現象にすぎない。しかしそこには、手ではけっして描くことが出来ない別種のイメージが定着されている。(略・引用者)デカルコマニーほど氏の絵画表現に似つかわしいものはない」と評した上で、「言葉の発生、意味の生成、イメージの火花を注意ぶかく見つめ、〝私を超えるもの〟の到来を、氏は敬虔な信徒のように待つ」(谷川晃一「眼の探索者」『コレクション・瀧口修造 別巻』みすず書房、1998年、528~529頁)と主張した。
 本発表では、オスカー・ドミンゲス(1906~1957)やマックス・エルンスト(1891~1976)等のデカルコマニーを参照しつつ、瀧口のデカルコマニーの特徴について明らかにする一方、谷川の言う「私を超えるもの」とは、瀧口において、どのような言葉・影像で捉えられていたかということに着目する。その上で、一種のオートマティスムの方法であるデカルコマニーによって定着した影像と瀧口との対話は、どのような対話だったのか、何についての対話であったのか、また、デカルコマニーの影像は瀧口と何とを媒介するものだったのかということについて考えてみたい。このような考察は、瀧口の詩・詩論の解釈の問題とも結びついている。

〈講演〉
詩と言語と翻訳について田 原(城西国際大学客員教授

A 詩ってなんだろう
現代詩の百年あまりの歴史の中で、かなりの詩人が自分なりの概念を作り出していますが、内容はもちろんさまざまで、詩人によって違ってくることは言うまでもありません。現代詩だけではなく、二千数百年の歴史を持つ古典詩にも決まった概念は存在しません。詩はいったいどんな概念をしているのだろう。


B 日中翻訳詩について
両言語の特徴を踏まえながら、なぜある詩はいまだに衰えずに愛読され、時間を越えて記憶されるのか。なぜある詩はあっという間に消失してしまい、時間の埃に埋葬されてしまうのか。この問題について探究してみたい。


C 翻訳という行為について
翻訳という作業は古くからあって、日中の翻訳詩で言えば、中国古典詩(日本語では漢詩)に対する日本人の発明した「読み下し」(訓読)という翻訳方法は、世界中にどの言語にも存在しないし、真似することもできないのです。なぜどの言語もできないことが日本語にできるか。現代詩に関しても、どういう翻訳作業をすればいい訳ができるかについて考えたい。


D 優れた詩とは何か
優れた詩は自分の母語において優れるだけではなく、いろんな外国語に訳されてもその優れた点が伝えられなければならないのです。なぜある詩人は自分の母語において一流と見なされて、外国語に訳されたら二流、三流になってしまったのでしょう。母語を超えない詩はどこに問題があるのだろう。