◇2021年度第01回北海道研究会プログラム

  • 日時 2021年7月10日(土)14:00開会(ミーティング入室は13:45より)
  • 開催方法および参加方法について
    • WebExによるオンライン開催となります(一般聴講歓迎)
    • 参加を希望される方は、7月3日(土)24時までに北海道支部事務局までその旨ご連絡ください。参加者として事前登録したうえで、資料や接続方法についてご連絡します。

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〈開会の辞〉  飛ヶ谷 美穂子

■研究発表 14:05-15:45
民藝のコミュニケーション
梶谷 崇(北海道科学大学司会 中村 建(北海道大学大学院文学院)

<休憩>

ひらがなの天使 2―モーツァルト、クレー、谷川俊太郎
中村 三春(北海道大学司会 大野 建(北海道大学大学院文学院)

〈閉会の辞〉        梶谷 崇(支部長、北海道科学大学


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【発表要旨】

〈研究発表〉
民藝のコミュニケーション梶谷 崇(北海道科学大学
 柳宗悦が民藝思想の初めから強調するように、民藝を生み出す職人は美に関する知識を持たない(あるいは持ってはならない)イノセントな存在である。そして、この前提は、すでに運動の推進者と民藝を生み出す工人たちとの間の美に関するコミュニケーションの断絶を意味している。
 柳が河井寛次郎濱田庄司らとともに赴いた1937年の朝鮮への調査旅行の見聞をまとめた「全羅紀行」には朝鮮の工人たちの素朴な生活と制作の場が描かれる。現地の職人の牧歌的な日常は、柳にとって民藝を生み出すまさに理想郷であるが、柳は彼らに対して啓発的なコミュニケーション行動をとることはない。無垢な存在である工人たちは、柳が語る理論を理解せずとも、そのまま美を生み出す存在であるからだ。むしろ理論は彼らの制作の障害となる。
 反面、彼らは、全羅道知事ら為政者や産業振興担当者、社会一般に対しては、民藝の美的価値観についての無自覚を批判し、民藝の保護、振興を訴えていく。コミュニケーションの相手は、職人に対してよりもむしろそれを取り巻く社会環境に向けられる。民藝派によるコミュニケーションは、民藝派の人々、為政者たち、産業界、消費者の人々の間で流通し、醸成し、民藝的言説として定着していくのである。
 本発表では、以上のような民藝言説について、1924年民藝運動が立ち上げられ、それに共鳴する人々が集まり、日本民藝協会に組織化され、『工藝』や『月刊民藝』などの機関紙が創刊されていくというプロセスの中で捉えなおすことを試みたい。この試みから浮かび上がるのは、民藝言説を生み出し、流通させる民藝派の人々と、実際の作り手としての工人との間のコミュニケーション不全であろう。その端的な事例は、先に挙げた「全羅紀行」における柳と朝鮮の人々との関係性に現れている。民藝に関するコミュニケーションはいかにして行われたのか、あるいは失敗するのか。民藝派の言説を問うことを通して検討したい。

ひらがなの天使 2―モーツァルト、クレー、谷川俊太郎中村 三春(北海道大学
 谷川俊太郎の詩集『モーツァルトを聴く人』(1995.1)のカバー・扉・挿画(5点)、さらに附属CDのカバーは、すべてパウル・クレーの作品から採られている。これらの挿画はヴァイオリンなど、音楽にまつわる素描である。クレーの絵に詩を配した『クレーの絵本』(1995.10)も同じ年に刊行され、この試みは『クレーの天使』(2000.10)へと続く。『クレーの絵本』のあとがき「魂の住む絵」では、「若いころから私は彼の絵にうながされて詩を書いてきた。ちょうどモーツァルトの音楽にうながされてそうしてきたように」とある。本発表では、前回の発表で行ったこれら3詩集の概観と課題の整理の延長線上に、モーツァルトおよびクレーの作品に「触発」されて書かれた詩として谷川の作品を取り上げ、特に谷川の詩的様式の重要部分を占めるひらがな詩の特性を、この「触発」の要素との関わりにおいて追究する。
 「触発」は、触発されることによって触発対象との間で響き合いや止揚を発生させる手法である。それは、内部的であると同時に外部的でもあり、自己同一性を否定されることによって現れる非同一性としての様式を顕現させる。要するにそれは、作品に雑音・偶然の要素を導入する現代芸術の手法なのである。
 他方、『クレーの絵本』に再録された、『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』(1975.9)由来の11編の詩はすべてひらがな詩であり、『クレーの天使』に至っては全編がひらがな詩で埋められていた。『ことばあそびうた』(1973.10)の頃から本格的に書かれるようになった谷川のひらがな詩の特徴は、意味論的な原初性である。この原初性とは、素朴・純粋である性質と、それゆえの多義性とを同時に持ち、固有の存在感とともに多様な接続可能性をも帯びた、いわば言葉の起源・根元とも想定される瞬間を生み出す。
 モーツァルトとクレーの作品は、谷川のひらがな詩との間にどのような「触発」の回路を開いたのか、あるいは開かなかったのか。本発表では、三つの詩集の代表的な詩作品を取り上げて検証を行い、もって、ひらがなという簡素かつ凝縮されたリソースを用いてなされた、谷川俊太郎の現代芸術の究竟に迫ってみたい。