◇2022年度第01回北海道研究会プログラム

  • 日時 2022年7月9日(土)13:10開会(ミーティング入室は13:00より)
  • 開催方法および参加方法について
    • Zoomによるオンライン開催となります(一般聴講歓迎)
    • 参加を希望される方は、7月3日(日)24時までに北海道支部事務局までその旨ご連絡ください。参加者として事前登録したうえで、資料や接続方法についてご連絡します。
    • 可能な方はカメラをオンにしてご参加くださいますようお願いします。

〈開会の辞〉  種田 和加子(藤女子大学

■研究発表 13:15-14:45
有島武郎「死と其前後」論―大正期のメーテルリンク受容との関連から―
中村 建(北海道大学大学院文学院)司会 梶谷 崇(北海道科学大学

彷徨する言説―再考・近代と女性―
横田 肇(星槎道都大学司会 齊田 春菜(北海道大学大学院文学院)

<休憩>

■名著読解講座(第18回) 15:00-15:45
堀まどか『野口米次郎と「神秘」なる日本』(和泉書院、2021年)
秋元 裕子(北海学園大学非常勤講師)司会 飛ヶ谷 美穂子

〈閉会の辞〉  梶谷 崇(支部長、北海道科学大学


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【発表要旨】

〈研究発表〉
有島武郎「死と其前後」論―大正期のメーテルリンク受容との関連から―中村 建(北海道大学大学院文学院)
 有島武郎「死と其前後」(大6・5)は、作者自身の妻の死を題材とした戯曲である。この戯曲は、擬人化された「死」が一貫して登場することもさることながら、結核で瀕死の妻に夫が、これまで他の女性に心を惹かれながらもその葛藤を乗り越えた今、妻を愛していると告白する場面が特徴的である。同時代評や先行研究では、観念的であるとか妻の描写が少ないといった批判の一方、死に対する夫婦の愛の勝利として評価するものが多くを占めている。
 その中でも和辻哲郎は、夫婦の「一つにならうとする二つの心の全人格的な叫び」を絶賛している。また、神近市子は、三角関係を題材としたメーテルリンクの戯曲『アグラヴェーヌとセリセット』の恋愛観念よりも、一夫一婦の関係を守ろうとした「死と其前後」の夫の方が「より近代的なもの」とし、望ましい恋愛・結婚の在り方であると評価している。
 このような評価の背景には、今村忠純が「メーテルリンクの季節」と呼ぶような、メーテルリンクの戯曲に「内部生命」を見出す流行があったことは間違いないだろう。有島がメーテルリンクを受容した直接の証拠はない。しかし、彼の周辺では「死と其前後」の上演を提案した秋田雨雀による『アグラヴェーヌとセリセット』の翻訳、志賀直哉武者小路実篤白樺派の作家によるメーテルリンクの受容がなされていた。そのような文学的な雰囲気を有島もある程度理解した上で、死を前に愛を確認しあう場面をクライマックスに置いたのであろう。
 発表者は以前、同時に複数の人物に恋愛することができるという「恋愛の多角性」という有島の主張について考察した。この「恋愛の多角性」の概念や「メーテルリンクの季節」を踏まえた上で、「死の其前後」が単なる夫婦の愛の勝利を描いたものではなく、むしろ、死によってのみ完成する愛の成就の困難さを表現した戯曲であることを明らかにしたい。

彷徨する言説―再考・近代と女性―横田 肇(星槎道都大学
 一般に、日本でも西欧でも、近代になって女性の権利の拡張と社会進出が声高に主張され、推進されたとのイメージが強く、近代と女性を見る場合、このようなイメージで捉えられ、語られる場合が多いであろう。日本の場合、与謝野晶子平塚雷鳥といったカリスマ的な論客の存在と発言が、また、西欧ではイギリスのナイチンゲールらの主張と行動、各国の一連の女性運動家らの力強い言説がこのことに拍車をかけた面があるだろう。また、守旧派(主に男性)のヒステリックな反応が冷静な見方を阻害していたということもあろう。
 近代において、運動家らの主張と実践によって女性の権利の拡張と社会進出が一定程度進んだことは事実である。しかし、晶子や雷鳥、その他、内外の論者の女性をめぐる言説を今一度冷静に紐解くと、彼らが単に女性の権利や社会進出を叫び、その推進力となっただけではなく、時に自身と他者の行動と言葉にためらい、内省し、時に深い疑義と懊悩の中に沈潜せざるを得なかったということ、そして、その結果、彼らの言説は思いのほか、彷徨し、錯綜しているということに行き当たる。なぜかと言えば、雷鳥言うところの人種(種族)問題、つまり、出産・育児と仕事との両立という宿命とも言える現実があった(ある)からである。
 そこで、本発表では、主に1910年から20年代にかけての晶子と雷鳥(ら)の言説の変遷をたどり、彼らがいかに現実に直面し、呻吟し、考えと態度を修正し、克服へと向かっていったかを考察する。その際、合わせて、日本に先行する形で議論と現実が進み、晶子や雷鳥らと共鳴・共振するイギリスをはじめとする西欧の事情を(晶子らとほぼ同時代人であった)ハヴェロック・エリス、エレン・ケイ、ヴァージニア・ウルフらの言説を参照しつつ考察し、その彼我の違いと共通点をも考察したい。

〈名著読解講座(第18回)〉
堀まどか『野口米次郎と「神秘」なる日本』(和泉書院、2021年)秋元 裕子(北海学園大学非常勤講師)
「本書では、野口米次郎を中核にして、その前後にアメリカに渡った日本人たちの姿も含めながら、詩と宗教が注目されていた時代を眺めていく。つまり、20世紀転換期の宗教性と東洋の神秘的なものへの憧れを大きなテーマとして、野口米次郎とその周辺の若者たちが生きた時代の様相を概説したい」(p.8)と「はじめに」において目標が設定されたように、著者堀は、一九世紀半ばから二〇世紀初めの欧米・日本詩壇における「霊性思想」および象徴主義の興隆と、それらの文化・社会に対する「混入」の実態を見据え、野口をその文脈に置く。さらにその時期、主に欧米で「霊性思想」がどのような可能性を有していたか、文化・社会の改革意識との関係性を浮き上がらせる。
 名著読解講座においては、①「英詩人ヨネ・ノグチ」を生んだアメリカの精神的土壌、②「英詩人ヨネ・ノグチ」の誕生、③野口米次郎日本への凱旋と、日本の「神秘」の再発見・海外発信、④イギリス文・詩壇での野口の戦略、⑤心霊思想と社会改革運動、という項目を立て、本書全体を整理する。
 その上で、「本書は〈物質文明=アメリカ/精神文明=日本〉とか〈戦前の日本人たちが英米社会に精神文明で対抗した〉といった単純なステレオタイプの図式を瓦解させることをめざしている。文化の伝播とは、右から左へと受け渡される単純な移項では決してなく、じつにインタラクティブな受容と発信と摩擦の融合のなかで、国際的な文化思想の潮流がうごめいているものなのである」(p.8)という、堀の問題意識の意義を確認し、本書の射程について議論を深める契機としたい。