◇2022年度北海道大会プログラム

  • 新型コロナウイルス感染対策として、以下の点にご留意ください
    • 発熱等、体調不良の場合はご参加いただけません。
    • 会場となる建物入口で検温および消毒を行ってください
    • 常時、不織布マスクをご着用ください
    • 参加する方の連絡先を記録させていただきます

〈開会の辞〉  テレングト アイトル(北海学園大学

■研究発表 13:05-13:50
多和田葉子とドイツ民話―「ふたくちおとこ」を中心として―
袁 嘉孜(北海道大学大学院文学院)司会 中村 建(北海道大学大学院文学院)

<休憩>

■特集 近代日本と神秘主義 14:00-17:00
▣講演 20世紀転換期の越境者たちと神秘主義の時代——野口米次郎とその周辺の文芸活動を中心に
堀 まどか(大阪公立大学司会 井上 貴翔(北海道医療大学

▣研究発表
柳宗悦再読―底流する神秘主義
梶谷 崇(北海道科学大学司会 井上 貴翔(北海道医療大学

神秘主義の変相―ウィリアム・ブレイクから瀧口修造へ、そして現代芸術へ
秋元 裕子(北海学園大学非常勤)司会 横田 肇(星槎道都大学


〈閉会の辞〉  梶谷 崇(支部長、北海道科学大学


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【発表要旨】

〈研究発表〉
多和田葉子とドイツ民話―「ふたくちおとこ」を中心として―袁 嘉孜(北海道大学大学院文学院)
 「ふたくちおとこ」(1997)は、多和田葉子が日本語とドイツ語との二つの言語で書かれた戯曲「ティル」のシナリオを小説化したものであり、ドイツ民話「ティル・オイレンシュピーゲル」の話を下敷きに、主人公「いのんど」の「ニーダーザクセン中世の旅」物語として書き直されたものである。
 中世から口承されてきた「ティル・オイレンシュピーゲル」の話は、書籍印刷の普及に伴い、やがて民衆本『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』として刊行され、現在でも世界的に知られている。阿部謹也(1990)によれば、悪戯者のティル・オイレンシュピーゲルは、作者と思われる徴税書記だったヘルマン・ボーテが、当時の手工業親方の横柄で傲慢な態度への憤慨をきっかけに、手工業親方を嘲笑するために作り上げられたトリックスターであるという。オイレンシュピーゲルの原文は、低地ドイツ語では、Ulenspegelとなり、尻を拭けという意味を表すUl’n spegelの発音と類似している。「ふたくちおとこ」では、その氏名に由来したスカトロジー性が見られる。また、オイレンシュピーゲルの物語において、ティルはしばしば故意に言葉の取り違いや突飛な行動を通していたずらをする。そのような言葉巧みなティルの特色は、日独両言語が熟練し、言葉遊びを得意とする多和田と相性良く、「尻取り遊び」やヨーロッパの詩でよく使われる「韻を踏む」という方法で、この作品の中で最大限に発揮されている。
 本発表は、民衆への関心を表した悪戯者のティルの物語がいかに二一世紀にドイツに訪れた日本人観光客の「いのんど」という男の話と交錯するかについて考察する。また、日独両言語で書かれた戯曲のシナリオ「ティル」と比べながら、短編小説「ふたくちおとこ」における言語表現に注目しつつ、多和田の作品とドイツ民話との関わりについて第二次の文学の理論によって追究してみたい。

〈特集 近代日本と神秘主義
20世紀転換期の越境者たちと神秘主義の時代——野口米次郎とその周辺の文芸活動を中心に堀 まどか(大阪公立大学
 20世紀転換期に日英両言語で書いた日本詩人・野口米次郎(1875-1947)にとって、詩と宗教はいかなるもので、いかに国内外で受容されていたのか。彼は、俳句や能楽といった日本の伝統的な芸術の本質や特徴を英語で説明し、世界に理解されうる日本独自の《情緒》を翻訳することに心を砕いた詩人である。そこには、欧米における神秘主義心霊主義が注目されていた時代背景があり、宗教性と東洋への神秘的なものへの憧れが明確に醸成しつつあった文脈があった。本発表では、とくにアメリカを中心に、1893年のシカゴ万国宗教会議以降の神智学や禅仏教及び東洋への関心の隆盛に注目して、そのなかでの野口米次郎の文芸の発信と受容を考える。神智学や心霊主義に関心を寄せた欧米の知識人たちや富裕層たちは、アジアの宗教や文化、とくに禅仏教や文学に関心を寄せていたからである。また本発表では、野口米次郎を中核としながらも、野口と直接的に間接的に関係を結んでいたその他の越境者についても触れていきたい。彼らは、芸術(ときには社会改革や実学)を目指してアメリカにわたり、そこでアジア宗教に影響をうけた秘教思想や霊性思想に出遭い、さらに日本にその空気や思想を環流させることになる。国際的な文化思想のやりとりが、インタラクティブな受容と発信、摩擦と融合のなかで生まれ、またそれが次の世代や隣接した社会のうえに反響するように伝播していく様相を考えていく。

柳宗悦再読―底流する神秘主義梶谷 崇(北海道科学大学
 柳宗悦は1915年11月8日、19日、24日、終生の盟友となるバーナード・リーチと立て続けに書簡を交換している。英文で合わせて数千語に及ぶ長文書簡である。そこで柳は、ブレイク研究からキリスト教神秘主義へ、さらに東洋の神秘主義―禅仏教へと関心を広げていることを打ち明けている。リーチからの返信は残されていないが、柳はリーチとの応答を通じて、次第に神秘主義研究へと思索を深めていったことが文面から読み取れる。24日の書簡では神秘主義に関する次著の目次案まで示すに至っている。これはのちに『宗教とその真理』(1919)をはじめとする著作として実現する。
 佐藤光氏の『柳宗悦ウィリアム・ブレイク 環流する「肯定の思想」』(2015)は、世界的見地から柳宗悦の思想を分析した大著である。神秘思想に、スウェーデンボルグやブレイクを経て柳宗悦に流れ込むという系譜(西廻りの思想)を見ると同時に、仏教思想(東廻りの思想)が柳の思想的基盤をなしており、それらが民藝論へと流れ込むという。先に挙げたリーチとの書簡のやりとりは、まさにその思想的基盤が形成されつつある場を示している。民藝論の根底には神秘思想が底流しているのである。
 ところで、北海道支部では堀まどか氏による『野口米次郎と「神秘」なる日本』(2021)の読解を行った。野口米次郎の思想を20世紀転換期欧米の宗教性や東洋神秘への憧れというコンテクストの中で読み解くという研究成果であった。1889年生の柳と1875年生の野口は歳の差14年である。柳がブレイクを通して神秘主義への関心を強めていた時には、すでに野口はオックスフォード大学において日本の神秘について講演を行い、イェイツなどの多くの文人と交流をしていた。本報告においては柳のテクストを同時代の神秘思想のコンテクストの中で改めて再読し、柳の思想形成の足跡を辿り直してみたい。

神秘主義の変相―ウィリアム・ブレイクから瀧口修造へ、そして現代芸術へ秋元 裕子(北海学園大学非常勤)
 詩人・美術批評家瀧口修造(1903~1979)は、周知のとおり、シュールレアリスムの理解・紹介・実践において、日本における第一人者と目されている。一方、瀧口によってシュールレアリスムが受容され始めたのは、1926年以後のことであり、それ以前はウィリアム・ブレイク(1757~1827)に傾倒していたことも知られている。瀧口はブレイクに何を読み取ったのか、瀧口によるブレイク受容の特徴的なものは何であろうか。このことを捕捉することによって、シュールレアリスム受容以前の、かつ、より核心的・特質的な、瀧口の文学・芸術的傾向が見出せるのではないだろうか。
 また、瀧口は、特にブレイク作「無垢の予兆」(『ピカリング稿本』、1807年頃)に惹きつけられており、生涯に亘る芸術活動において、この詩を繰り返し引用している。この詩における世界観は、瀧口の作品に、どのように反映されているのだろうか。
 本発表では、上記について明らかにすることを目標にして、これまで発表者が口頭発表・論文等で述べてきたことをまとめて提示する。それとともに、瀧口のフィルターを通してブレイクから受け取ったものが、シュールレアリスムと相俟って、現代芸術へと引き継がれていく一例を示してみたい。