◇日本比較文学会北海道支部・東北支部第7回合同研究会プログラム

  • 日時 2023年7月30日(日)13:00開会(12時30分より受付)
  • 開催方法および参加方法について
    • 会場と、オンライン会議用ソフト「Zoom」を使用したオンラインでの開催を併用する形式で行います。会場、オンラインいずれの参加でも、全ての発表を聞くことができます
  • 新型コロナウイルス感染対策として、以下の点にご留意ください
    • 発熱等の風邪症状がある場合は、来場を控えてください。
    • 会場入口には消毒液を設置しております。手指の消毒にご協力ください。
    • 会場内においては、適宜マスクの着用をお願いします。

〈開会の辞〉  梶谷 崇(北海道支部長 北海道科学大学

■研究発表 13:05-15:30
1. Augusto dos AnjosのEu(1912)と石川啄木『悲しき玩具』(1912)におけるメランコリーの文芸的な表現について
Chaves Goncalves Pinto, Felipe(筑波大学大学院)司会 塩谷昌弘(盛岡大学

2. 症例サド侯爵――澁澤龍彦における『黒いユーモア選集』受容について
山田 英生(早稲田大学大学院)司会 秋元裕子(北海学園大学非常勤講師)

<休憩>

3. 日本現代小説における横書きレイアウト―文字・表記への意識および原稿との関係―
森田 直子(東北大学司会 江口真規(筑波大学

<休憩>

■特集 研究交流ラウンドテーブル 15:40-17:00
特集司会 塩谷昌弘(盛岡大学)/上戸理恵(札幌大谷大学
明治後期のボードレール永井荷風『珊瑚集』までの道程—
廣瀬 航也(宮城教育大学指定討論者 中村 建(北海道大学大学院文学院)

村上春樹「土の中の彼女の小さな犬」における戦後の階級―スコット・フィッツジェラルド 「リッチ・ボーイ(金持の青年)」との比較から―
大野 建(北海道大学大学院文学院)指定討論者 姜 惠彬(医療創生大学)


〈閉会の辞〉  加藤 健司(東北支部長 山形大学


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【発表要旨】

〈研究発表〉
Augusto dos AnjosのEu(1912)と石川啄木『悲しき玩具』(1912)におけるメランコリーの文芸的な表現についてChaves Goncalves Pinto, Felipe(筑波大学大学院)
 「メランコリー」というのは深刻な悲しみに陥る可能性があるあらゆる人間の根本的な悩みと、そこから生み出される社会問題との関連性が深いとみなされている。そのため、特定の時代、領域、国籍等の問題というよりも、人間の問題として扱われたほうが適切である。しかし、時代と社会の状況によって、メランコリーが多く生じやすいこともある。急激で刺激的な社会文化の変化と急速な技術の進歩であった19 世紀の転換期もそのような時代の一つの事例だといえる。
 本発表では、19世紀から20世紀の転換期にブラジルと日本という対蹠地でそれぞれ同時代に生活を送っていた詩人であるAugusto dos Anjos(1884-1914)と石川啄木(1886-1912)をとり上げ、彼らの作品であるEu(『我』、1912)と『悲しき玩具』(1912)におけるメランコリーの文芸的な表現を簡潔に比較的に考察する。

〈研究発表〉
症例サド侯爵――澁澤龍彦における『黒いユーモア選集』受容について山田 英生(早稲田大学大学院)
 シュルレアリスムや小ロマン派、あるいはエゾテリスムの日本への紹介者として名高い澁澤龍彦(1928-1987)の著述家としての出発は、例えば跡上史郎「澁澤龍彦の出発――「撲滅の賦」と黒いユーモア――」(『日本近代文学』、no 104、2021年)などにおけるように、アンドレ・ブルトン『黒いユーモア選集Anthologie de l'humour noir』(初版1940年、Sagittaireより)との接触によって強く規定されていると言われてきた。この選集に収録されている作家たちに拘りつづけた澁澤のキャリアを考えるのであれば、彼の出発をそのように理解しようとする発想は確かに自然なものではある。また、澁澤自身の自伝的な証言(澁澤龍彦「本との出会い アンドレ・ブルトン『黒いユーモア選集』」、『みづゑ』、no 761、1968年など)や、巖谷國士のような生前の澁澤と交流のあった文学者による証言(巖谷國士シュルレアリスムとの出会い 卒業論文を読む」、『澁澤龍彦論コレクション』第二巻所収、勉誠出版、2017年など)もこの読解を支持してもいよう。
 しかし、澁澤の最初の評論集『サド復活』(初版1959年、弘文堂より)を比較文学的な手法によって詳細に検討するのであれば、澁澤の出発の別の様相が見えはじめる。そこではブルトンの「黒いユーモア」にかんするディスクールとともにそれとは別のなにかが、その淵源を隠蔽されつつ澁澤の過剰に装飾的なテクストを構築している。
 本発表は、『サド復活』の分析に、『黒いユーモア選集』に加えて、モーリス・ブランショジョルジュ・バタイユピエール・クロソウスキーらのテクストとの比較対照を導入することで、上述したような澁澤の出発についての通説に対して別の見解を提示するものである。この作業によって最終的に、澁澤における『黒いユーモア選集』受容の、理論ではなく症例そのものに執着する独特な在り方を剔抉し、さらにこの選集から症例として取り出されたサドを語る際の手つきに顕著に見てとれる澁澤の奇妙な態度決定をテクストの分析から具体的に示すことを目指す。

〈研究発表〉
日本現代小説における横書きレイアウト―文字・表記への意識および原稿との関係―森田 直子(東北大学
 本発表では、日本近現代文学の書記空間における横書きの使用が、日本語の文字や表記への問題意識、ページの視覚性への意識、原稿作成媒体の変化などとの関係でいかなる意味をもってきたかを考察する。
 日本語においては縦書きと横書きの併存が続いているが、小説は少数の例外を除き縦書き原則である。そのなかで、1995年の水村美苗の横書き小説『私小説from left to right』が、書物という形をとる以前の「文章を書く」環境、そして原稿作成の変革期をよく表していたことは、四半世紀を経た時点からははっきり認識することができる。本小説における横書きはまた、日米両文化、書き言葉と話し言葉、読むことと書くこととの自由な往還を可能にしている。一方、21世紀の日本小説における横書きレイアウトはどのような位置づけにあるのか、平野啓一郎黒田夏子などの事例とともに検討する。
 なお、現段階では構想に過ぎないが、明治期のローマ字実践もまた(横書きは必然にすぎないにせよ)、日本文学の横書きという文脈に含めて考えうるという点について述べる。

〈特集 研究交流ラウンドテーブル〉
明治後期のボードレール永井荷風『珊瑚集』までの道程—廣瀬 航也(宮城教育大学
 明治から大正期にかけてのフランス詩の翻訳は、上田敏海潮音』(本郷書院、1905年10月)、永井荷風『珊瑚集』(籾山書店、1913年4月)、堀口大学『月下の一群』(第一書房、1925年9月)を定点として語られてきた。永井荷風研究においても、ボードレールの受容はしばしば議論の対象になってきたが、その具体はもちろん、同時代的なボードレール受容の中での位置づけも未だ十分に検討されていない。本発表では、『海潮音』から『珊瑚集』に至るまでのボードレール受容史について、翻訳や批評の展開を辿りながらその諸相を明らかにするとともに、『珊瑚集』所収の翻訳テクストとその周辺の散文テクストがそこにどのように位置づけられるかを測定する。それにより、「遊歩」や「時間」といったボードレールの鍵概念が荷風テクストにどのように落とし込まれ、またそれにどのような意義があったのかを明らかにする。それは、日本近代におけるボードレール受容史の一端を明らかにすると同時に、明治後期から大正期にかけての荷風テクストの試みを評価することにつながるだろう。

〈特集 研究交流ラウンドテーブル〉
村上春樹「土の中の彼女の小さな犬」における戦後の階級―スコット・フィッツジェラルド 「リッチ・ボーイ(金持の青年)」との比較から―大野 建(北海道大学大学院文学院)
 村上春樹「土の中の彼女の小さな犬」(『すばる』1982・11)は飼い犬を喪い孤独な若い女が抱える生きづらさを、実は戦後に拡大した新中間階級に先駆けて郊外での裕福な生活を獲得した家庭の問題、すなわち階級の問題が根底にあるものとして描き出す。これは村上も翻訳しているF. S. Fitzgerald “The Rich Boy” (Red Book. 1926/1&2)が第一次世界大戦後の没落する上流階級の問題として金持の青年の孤独を描いたことと類比的である。高級リゾートホテルの消滅や親の失職による私立高校退学といった1982年の時点でバブル崩壊を予見していたかのような内容の「土の中の彼女の小さな犬」は、村上の戦後日本社会へのまなざしを検討する上で興味深い。また、村上が後に崩壊する1980年代の好況をフィッツジェラルドが経験した1920年代に重ね合わせて見ていたことは周知の通りである。本発表は戦後の日本文学にアメリカ文学を持ち込む村上の試みの一端を明らかにすることも目指す。今後の村上とフィッツジェラルドの比較研究を押し進める方途を探りたい。