◇2011年度第1回 日本比較文学会 北海道研究会プログラム

〈開会の辞〉 14:00 種田 和加子(藤女子大学

〈研究発表1〉 14:10-14:50
アントワーヌ・ロカンタンの「内面」と「風景」
 ―『嘔吐』における主体の問題―
発表者 大坪 広明(北海道大学・院)
〈研究発表2〉 14:50-15:30
川端康成と唐代伝奇小説
発表者 常 思佳(北海道大学・院)
比較文学比較文化 名著読解講座第五回〉 15:45-16:30
稲賀繁美著『絵画の東方 オリエンタリズムからジャポニズムへ』(名古屋大学出版会、1999/10)
報告者 山田 桃子(北海道大学・院)
〈閉会の辞〉 16:30 飛ヶ谷 美穂子(北海道支部長)

〈北海道支部 臨時総会〉 16:30〜17:00

〈懇親会〉 18:00-20:00

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【発表要旨】

(研究発表1)
アントワーヌ・ロカンタンの「内面」と「風景」
―『嘔吐』における主体の問題―

大坪 広明(北海道大学大学院修士課程)

 サルトルの小説『嘔吐』La Nausée(1938年)において名高いマロニエの啓示は、いわゆる「存在existence」の発見の場面として人口に膾炙している。だがそれは思想史上の一潮流の単なる象徴であるだけではない。というのも『嘔吐』は言葉の限界についての小説でもあり、かつそこでは文学論と主体論が融合させられてもいるからである。この作品はイメージと文学、ひいては知覚と言語の関係が主体性の問題そのものとして表明された一例として考えられる。
 主人公ロカンタンは「吐き気」の正体を知るために日記を付けはじめるが、そこで彼が自らに課したのは、事物がいかに「見える」かを「書く」ことであった。だが彼がマロニエの根を目にして悟ったことは、「存在」が常に言葉を逃れることに他ならなかった。つまりその発見は、「見る」ことと「書く」ことの乖離、つまりいわゆる表象不可能性の明確な自覚と同時である。ならば吐き気の原因は、イメージと言語の関係の安定を前提として成立している主体性に対する不信、またその前提の見かけの自明性への懐疑であったともいえよう。見る主体と書く主体の間の亀裂が、したがってこの小説のひとつのテーマなのである。ここに注目したとき『嘔吐』は、主体の思想史と近現代文学・文学論についてのより包括的な議論を展開するための視座を提示するものとして捉えられよう。
 以上の問題意識に基づき本発表は、『嘔吐』において言語と「見ること」、あるいは文学とイメージの関連という問題がいかに主体論を構成しているのか、その様相の一端を明らかにすることを目指す。そのために、近代文学における描写と主体性の連関をめぐる議論、および主体性を保証するものとしての「自明性」―世界の言語的秩序づけ―とその崩壊をめぐる議論を視野に入れた検討を行う。

(研究発表2)
川端康成と唐代伝奇小説

常思佳(北海道大学大学院博士課程)

 1926年、川端康成、鈴木彦次郎、今東光の三人で分担して日本語訳した『支那文学大観』第八巻「唐代小説」(支那文学大観刊行会)が刊行された。川端康成は「剣侠類」六編、「神怪類」三編、「別伝類」五篇、計十九編の唐代小説を担当した。従来の研究では、川端康成が翻訳した唐代小説と彼の実作、また川端文学作品に見られる女性像との関係性などが指摘されてきたが、他の人が訳した作品にも目を向ける必要があるのでないだろうか。
 本発表では、川端が直接訳した作品ではなく、先行研究ではまだで踏み込んでいない男女主人公を巡る恋愛小説「艶情類」(鈴木彦次郎訳)に属する「李娃伝」、「会眞記」等を取り上げて、川端康成出世作伊豆の踊子』(1926)を中心に、他の諸作品も参照しながら、男女主人公の出会いを巡る場面の比較や、女性像の対比などを行いたい。日中の空間を越えて、古今の階級を超えて、社会的には軽蔑される存在の少女に、美を発見しようとする川端康成の女性観や恋愛観なども分析する。
本発表では、川端康成の一連作品を唐伝奇小説と比較し、「艶情類」といわれる唐代小説の一ジャンルを彼がどのように受容したのか、あるいはどのような共通性と違いがあるのか、その一端をあきらかにしたい。

(名著読解講座)

稲賀繁美著『絵画の東方  オリエンタリズムからジャポニズムへ』

山田桃子北海道大学大学院博士課程)

 本書の指す「東方」とは、地理概念ではなく「西欧近代美術」の〈外部〉を意味する暗喩である、と筆者は序で述べている。「西欧近代美術」は、いかに〈外〉(そして〈内〉)を見出し、変容を起こしていくのか。全六章(+補章)だてで広範な問題を扱う本書に一貫して流れる問いとは、そのようなものだろう。
 とりわけ興味深いのは、ジャポニズムに関する議論である。出発点となる第1章では、〈東方(オリエント)〉と向き合った西欧画家たちが、見出した〈外〉を手持ちの絵画文法でどう絵画におとしこもうとしたのか、その折衝のさまが論じられる。やがて、オリエンタリズム絵画への批判とともに西欧内部からの文法の「解体」が準備されつつ、視線はそのまま日本へ及んでいく。しかしここで、新たな状況(更なる距離の発生、それ故「浮世絵」といった絵画表象を介在させて窺われるしかない〈極東〉)により、〈東方〉の珍奇を対象として借用するオリエンタリズムとしてのジャポニズムに加え、日本美術という〈外〉の文法を摂取して〈内〉なる西欧を描くという「別次元の」ジャポニズムが現れてくる。日本美術は、規範的な文法(透視図法・肉付け・明暗法)からの逸脱の可能性を示唆するものとして表象されていく(第3章)。とはいえ、本書の示す枠組みは単純には収まらない。そうした日本的なるもの、〈外〉の文法としてまなざされていた当のものが、実は徳川期における西欧透視図法の移入とその「脱構築」の結果生まれ出たものであったことが論じられるのだ(第2章)。
 「美術作品も言説も、それだけではそれとして存在することはない。両者の相互依存の網の目に、作品の意味も析出してくる」(補章)という認識(と自戒―「意味作用は、歴史の中で不断に増え続け」、「この研究もまたそこに、いやおうなく加担している」)の下、〈西欧近代美術〉と〈東方〉の触発の過程はどう描きだされるのか。確認していきたい。