◇第2回 比較文学研究会 プログラム(2013年3月16日開催)

2013年2月12日更新(誤記訂正)

〈開会の辞〉13:00  東北支部長 佐藤伸宏

■研究発表 13:05−15:30
司会:仁平政人(弘前大学)・森岡卓司(山形大学
〈研究発表I〉
二つの〈写生文〉
木戸浦 豊和(東北大学・院生)
〈研究発表II〉
川端康成千羽鶴』試論
 ―絡み合う〈わたし〉―
常 思佳(北海道大学・院生)
〈研究発表III〉
近代化された身体
 ―芥川龍之介お富の貞操」について―
高 啓豪(北海道大学・院生)
〈研究発表IV〉
夢野久作の〈外部〉へのまなざし
 ―『人間腸詰』における日本とアメリカ―
寺山 千紗都(北海道大学・院生)
(休憩)15:30−15:45

■ワークショップ 15:45−17:50
ユートピアディストピア/カタストロフィ2》
〈ナビゲーション&パネリスト紹介〉
司会:中村 三春(北海道大学
〈報  告〉15:50−17:10
原民喜における「魔」への想像力       
高橋 由貴(福島大学
地動説とユートピア文学
 ―シラノ・ド・ベルジュラックを中心に―      
森田 直子(東北大学
「1984」が未来だった頃
 ―英文学におけるディストピア小説管見―                     
飛ヶ谷 美穂子(北海道支部長)
工芸ユートピア思想の東西
 ―ウィリアム・モリス柳宗悦の工芸思想を手がかりに―                     
梶谷 崇(北海道工業大学)
〈ディスカッション〉17:10−17:50

〈閉会の辞〉17:50  北海道支部長 飛ヶ谷美穂子 

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【発表要旨】

〈研究発表I〉
二つの〈写生文〉
木戸浦 豊和(東北大学・院生)
 初期、夏目漱石の文学的営為において、「写生文」の実践と理論的な探究は極めて重要な位置を占める。本発表では、主に『文学論』(大倉書店、明治四〇年五月)と評論「写生文」(『読売新聞』明治四〇年一月二〇日)を取り上げ、漱石の「写生文」観の再考を試みたい。
 まず『文学論』において「写生文」は、「第四編 第八章 間隔論」のなかで、「作家の作物に対する二大態度」に関わって「同情的作物」の一環として提示される。漱石によれば「同情的作物」とは、作者が作中人物に寄せる徹底的な「同情」によって作者と作中人物とが「融化」する作品であり、そこでは「作家と篇中人物とは全く同化するが故に読者への距離は尤も短縮」することになる。漱石は、このような「同情的作物」の特徴のあらわれを「写生文」のなかで頻用される一人称の「余」に見出し、読者に対して直接的に語りかけるような存在としての「此大切なる余は読者に親しからざるべからず」と指摘する。
 一方、評論「写生文」では、漱石は、「写生文家の人事に対する態度」とは、「大人が小供を視るの態度」、「写生文家は泣かずして他の泣くを叙するもの」、「同情はあるけれども駄菓子を落した小供と共に大声を揚げて泣く様な同情は持た」ないと指摘する。さらに、評論「写生文」では、「写生文家」は「不人情の立場」を取るため、「写生文家の描写は多くの場合に於て客観的である」とも語られる。このような「写生文家」の態度・立場は、「第三者の位置に超然として公平なる判官の態度」を要しないとされる、「同情的作物」の一環としての「写生文」の議論とは明確な差異を示していると言える。それでは、このような差異はいったい何に由来するのか。本発表では、両者の差異の理由を漱石の「同情」概念に注目することによって考察することとしたい。

〈研究発表II〉
川端康成千羽鶴』試論 ―絡み合う〈わたし〉―
常 思佳(北海道大学・院生)
 『千羽鶴』(1949・5〜1951・10)は川端康成の戦後文学の中で、最も世評高き作品の一つである。従来の研究では、川端康成を〈日本的・伝統的な作家〉として捉える評価の枠組みによって、『源氏物語』をはじめとした古典文芸の受容やそれらとの共通性などが論じられてきた。他方で、一貫した「魔界」的な性格を捉える戦後テクストとしても位置づけられている。
 これに対して本発表では、戦前から見られるモダニズム的な脈絡に遡って、『千羽鶴』を取り上げてみたい。人間の知覚は、直喩・隠喩などのレトリックから構築される言語を媒介として、視覚・聴覚・触覚・嗅覚が一体のものとなる。このような知覚のせめぎあいの中で、主体たる菊治は形象化されている。主体の感覚的な経験は、〈茶碗〉・〈電話〉などの媒介を通して、現実の歪みを無限に可能にし、夢うつつの顕現的瞬間を生成し得るようになる。虚構と現実、さらに虚構と現実の対立を超えた現在などの問題が、自意識や自己言及とともに、『千羽鶴』において展開されている。
 これらのメカニズムを分析するために、一つの補助線を引きたい。1929年10月から、川端康成横光利一堀辰雄らが編集同人を務める雑誌『文学』において、淀野隆三他訳のプルウスト「スワン家の方――失ひし時を求めて 第一巻」の連載が開始された。1930年1月まで4号にわたって、その第一巻『スワン家の方へ』(Du coté de chez Swann,1913)第一部「コンブレー」(Combray)の翻訳が掲載されることになる。川端康成プルーストとその文学に対する関心は、それ以後、随筆「末期の眼」や文学評論で言及される。例えば、「小説の宇宙は、幻想的なものでさへも、宛も実物のやうに見せかける画が見物人の往来してゐる附近の触れ得る事物に接続するやうに、現実の世界に連続するのである」とポール・ヴァレリーの「プルウスト」から引用して論じた。このような新しい手法が試みられた作品として『千羽鶴』を再評価したい。

〈研究発表III〉
近代化された身体
 ―芥川龍之介お富の貞操」について―

高 啓豪(北海道大学・院生)
 個人の身体は、他者とのつながりによって初めて社会性を持つ。これを体現した言葉のひとつに「貞操」があると思われる。この言葉は、極めて私的な領域のものでありながら、公での評価によって初めて意義を持つという、両極端の意義を具有している。本発表では、明治時代の上野で起きた戊辰戦争と内国博覧会を背景に描いた芥川龍之介の「お富の貞操」を貞操のテクストとして取り上げ、語り手・芥川龍之介が駆使した貞操のレトリックを再考し、読み解いていきたい。
物語の場所は明治元年明治23年の上野というトポスである。同一の場所ながらも、そこに付与される意味合い・ニュアンスが時代推移によって変わる特徴的な作品として、近代化が表象され可視化されるのである。そこから戊辰戦争という戦時中における非戦闘員である女性に加えられるレイプという形の暴力問題、婦人貞操問題、ひいては日本の近代化などの問題を、身体論の視点から考える。
 物語のタイトル「お富の貞操」に鑑みて、作品の主人公がお富であることはたやすく思いつく。本作は、お富の持ち前のおおらかな性格が、家庭を幸福へと導く物語であることとの読み解き方が多かった。しかし、語り手芥川が、本作品を第三人称で描いているため、物語においてもう一人の登場人物新公にも同様の重みが置かれていることは見過ごされがちである。新公の立身出世が語られる結末があるからこそ、そこには描かれていないテクストとして、新公の改心談が対等的に存在すると思われる。そこで、本作品と芥川が題材を得たとみられるストリンドベリィの「令嬢ジュリー」(1888年)との比較を皮切りに、登場人物の男女の位相、男性の持つ上昇志向などを併せて論じたい。
 また、近代化では個人の自覚が要請されるが、結局のところ、本作での「近代化」は明治政府による国家の傘下に厳重に管理され、内国博覧会という形で収束されるメタファーとして描かれていると思われる。本発表は、1920年代に発表された「お富の貞操」という作品を取り巻く言説の中から、近代化の中で貞操という概念は如何に確立され、国家の中においてどう機能しているかを考察する。「貞操」は女性のためにあるものか、男性のために作られた制度か。これは、身体・セクシュアリティのアプローチを通して考えると興味深いものである。

〈研究発表IV〉
夢野久作の〈外部〉へのまなざし
 ―『人間腸詰』における日本とアメリカ―

寺山 千紗都(北海道大学・院生)
 『人間腸詰』(にんげんソーセージ)とは、一九〇四年、アメリカ・セントルイスで実際に開催された国際博覧会を舞台にした短編小説である。博覧会に関わった日本人が、アメリカ人によってソーセージにされ掛けるという、この刺激的なフィクションは、博覧会のために渡米した日本人大工の独白の形式で語られる。アメリカの言語や文化に対する、「江戸ッ子一流の世間見ず」を自認する主人公の視点は、劣等感と優越感の間で揺れ動く、交錯したアイデンティティに基づいている。
 夢野の作品は「アウトサイダーの文学」、「異端の文学」として評価されることが多い。彼の作品には、「白痴」、「啞」、「乞食」……というように、差別の対象とされていた者が多く登場人物として採用されるという特徴があり、鶴見俊輔塚本邦雄はこのような夢野の視線に、「土着性」が現れているとして評価を行った。鶴見や森の批評は、死後ほとんど顧みられることのなかった夢野久作の、戦後の再発見につながり、そしてこれを受けた塚本邦雄の論考「異端者の系譜」によって、マジョリティ批判、あるいはマイノリティの活写という夢野の解釈が評価軸の一つとして築かれることとなった。
 しかし、この『人間腸詰』という作品では、西洋人を指す「毛唐」という蔑視語が用いられるなど、一人称の語り手の差別の方向ははっきりしていながらも、この差別が基づくマジョリティ/マイノリティが転覆されてしまうアメリカという舞台が、敢えて設定されているのである。『人間腸詰』の中では、語り手である日本人も、語られるアメリカ人も、双方がマジョリティとマイノリティの二面性を纏わされているのであり、この点で『人間腸詰』は、微視的であるという点による夢野評価からは外れてしまう作品であると言えるだろう。本発表では、当時の言説と比較した上で、日本とアメリカの関係性についての描写の特徴を確認し、また、この作業を通して、アメリカでの体験を通して初めて理解に及んだと語られる、「世界の丸っこい道理」が指す内容について考察する。夢野久作は、マジョリティ/マイノリティ、あるいは内/外の関係をどのように捉えていたのか。この作品の分析をもって、久作の世界観を捉え直す端緒としたい。

【ワークショップ】
テーマ《ユートピアディストピア/カタストロフィ2》

《企画の趣旨》

 日本比較文学会北海道支部と東北支部は、2012年3月に北海学園大学において合同の第1回比較文学研究会を開催し、〈ユートピアディストピア/カタストロフィ〉のテーマでワークショップを行った。その際、日本・英語圏ベラルーシの各地域に亙るテーマの報告の後、活発な議論が取り交わされた。カタストロフィ(災厄)に際し、文学・文化の想像力が繰り広げるユートピアまたはディストピアの様相とはいかなるものか、甚大な被害と犠牲に対し想像力はどれほどの拮抗力を持ちうるのか、またその結果としての諸作品を受容し受け継いでいくとはどのような行為なのか……これらの議論は、いまだ緒に就いたばかりである。
 今回はその延長線上に議論をいっそう発展させるべく、日・朝・英・仏にまたがるテーマを中心に、この地上で戦われた現実と想像力との戦いの意味と意義を、再び俎上に載せるものである。多数の参加と熱心な発言をお願いしたい。


《ワークショップ報告要旨》

原民喜における「魔」への想像力       
高橋 由貴(福島大学
 「ガリヴア旅行記」というエッセイ(『近代文学』、1951年4月)において、原民喜は、このテクストが、お化けに遭遇した人間が、その体験を話した相手もまたお化けだったと気づくという「怪談に似た手のこんだ構成」を有していることを指摘している。滞在した各国からようやく帰還した後も、助けられた船員たちとの亀裂をはらんだやりとりを通じて人間社会への嫌悪を増幅させるガリヴァーに、「陰鬱」さや「痛ましさ」を読み取る原は、被災経験を「ガリヴァの歌」という一篇の詩にし、自らの小説にも「怪談に似た」構成を取り入れている。本発表では、このようなテクストの様態を辿りながら、原の「魔」に向けられ続けた想像力について論じる。

地動説とユートピア文学
 ―シラノ・ド・ベルジュラックを中心に―
      
森田 直子(東北大学
 キリスト教の人間中心主義に支えられて長く支配的だったプトレマイオスの宇宙観。これをついに覆したコペルニクスの地動説は、17世紀に入ってようやくガリレオケプラーらを中心に少しずつ支持者を増やしていく。地動説の真正性を主張するにあたって、直接的感覚にも実験にも頼れない科学者たちは、真実に到達するための回路として時にフィクションを利用した(ケプラー『夢』、ホイヘンス『コスモテオロス』等)。地動説を支持していた文学者たちもまた空想宇宙旅行記を残したが、その際の著者らの目的は、新しい宇宙観の主張にはなく、むしろ月上世界の描写を通した地上世界の諷刺・批判であるとされる。ただ、『別世界 または日月両世界の諸国諸帝国』を著したシラノ・ド・ベルジュラックのようなリベルタン(自由思想家)にとって、地動説は単に現世批判のためのパースペクティヴを提供する手段・口実ではなかった。シラノの空想旅行には、まさに宇宙観の転倒を通してしか論じられないような解放と自由への欲求がにじみ出ている。著者の死後、少なくとも『月の諸国諸帝国』については友人の手で大幅な削除がなされた形で世に出たこと、そして著者自身がつねに検閲の脅威のなかで書かざるをえず、怒りと慎重さとのあいだを行き来していたことを念頭に置くだけでも、シラノがいかなる切迫性をもってこの空想世界を構築したかを感じ取ることができる。また、シラノの描くユートピアが、彼の人間観・宗教観・物質観を開陳するための非時間的な叙述を呼び出すだけでなく、対話と時間の流れに支えられた物語のなかに位置づけられている点は、ユートピア文学のあり方として興味深い。本発表では、17世紀の宇宙論とフィクション、特にユートピア文学という言説形式の関連をシラノ・ド・ベルジュラックの著作を中心に検討し、さまざまな時代や文化圏におけるユートピア言説を考えるための一材料としたい。

「1984」が未来だった頃
 ―英文学におけるディストピア小説管見
                     
飛ヶ谷 美穂子(北海道支部長)
 村上春樹は『1Q84』執筆のきっかけとして、ジョージ・オーウェルの近未来小説『一九八四年』を土台に、「近い過去を小説にしたいと以前から思っていた」と語っている。ディストピア小説の古典的名作として知られるこの作品は、1949年に発表されて以来今日に至るまで、さまざまなジャンルに大きな影響を与え続けているが、英文学にはもともとその先蹤と言うべき反ユートピア文学の伝統があった。漱石が愛読したスウィフトの『ガリバー旅行記』(1726)などもその系譜の代表作といえよう。ことに十九世紀後半から二十世紀前半にかけては、相次ぐ戦争や社会の急激な変化のもたらす不安を映し出すように、数多くのディストピア小説が発表された。その中には、芥川龍之介の『河童』に影響を与えたといわれるサミュエル・バトラーの『エレホン』(1872)をはじめ、メアリ・シェリー、ジャック・ロンドンオルダス・ハクスレーなどの文学者による傑作も少なくない。
 今回の発表では、『一九八四年』を一つの視座として、タイトルの意味や背景を探るとともに、H.G.ウェルズ、G.K.チェスタトン、E.M.フォースターなどの作品を取り上げ、今からほぼ百年前のディストピア小説が何を描き、私たちが今日それを読むことの意味は何か、あらためて考えてみたい。

工芸ユートピア思想の東西
 ―ウィリアム・モリス柳宗悦の工芸思想を手がかりに―
                     
梶谷 崇(北海道工業大学)
 ウィリアム・モリス柳宗悦は、英国と日本というように遠く隔たった国に生まれたもの同士であっても、ともに人間の手仕事によって生み出される工芸美による社会システムや美的感性の改革を目指した人物としてしばしば比較して論じられる。
 だが柳宗悦はモリスの思想的卓越性を認めながらも、自身の思想に対するモリスとの類似性や影響関係については否定的である。モリスの工芸論が未だ美術的な言説の内部にとどまっていることに対し、柳の民芸論は美術的な範疇を超え、人々の日常的な美意識の変革までを求める。
 このような両者の差異は、その思想の原点の違いに求められるのではないか。モリスの工芸運動は近代機械文明批判と社会主義運動を背景として生まれ出でたものであった。それに対し、柳の工芸運動すなわち民芸運動の原点は朝鮮民族の文化に対する同情と理解にまでさかのぼることができる。朝鮮民族は日本による植民地支配の過程において日常生活に溶け込んだ美的感性までも変質を余儀なくされた。柳は3・1運動というカタストロフィの中で消滅の危機にある朝鮮文化の保護を訴えた。そこで見いだされたのが李朝における無銘の工芸の美である。柳は名もなき工人たちが生み出す前近代的な生産システムの中で生み出される日常的な美の秘密を追究し、その後中世ギルド主義的生産システムの実験的組織である上賀茂民芸協団の創設に至る。
 モリスにせよ柳にせよ、両者は近代機械文明に対し批判的であり、それに反発するように中世ギルド社会にユートピアの姿を夢見た点は共通している。だが、その思想的背景は異なる。柳はモリスといかなる点において異なるのか、朝鮮民族運動を補助線に、柳の工芸ユートピア思想の特質について考えたい。