◇2014年度 日本比較文学会 北海道研究会プログラム

2014年6月16日更新(総会事項追加)

総合司会 越野剛
〈開会の辞〉   種田和加子

■研究発表

サブカルチャーにおける『不思議の国のアリス』の二次創作的受容
北海道大学大学院修士課程 杉本 圭吾

トーキー移行期における「日本像」の形成および海外への発信
 ―日ソ合作映画『大東京』(1933)の製作・公開を例に―
日本学術振興会特別研究員 フィオードロワ・アナスタシア

  (休憩)

■〈比較文学比較文化 名著読解講座第9回〉

ジョナサン・カラーの「とうとう比較文学
 ―『文学と文学理論』を読む―
中村 三春
■総会

〈閉会の辞〉  テレングト・アイトル

→発表要旨は「続きを読む」をクリック
【発表要旨】

〈研究発表〉
サブカルチャーにおける『不思議の国のアリス』の二次創作的受容

北海道大学大学院修士課程 杉本 圭吾
 ルイス・キャロル著の『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』。この二つの『アリス』が世に出たのは十九世紀後半だが、一五〇年以上経過した現在でも、この作品は日本を始め世界中で広く読まれている。
 この二つの『アリス』の日本での受容を見ると、サブカルチャーと非常に親和性が高い。殊に二〇〇〇年代以降、日本では『アリス』をモチーフに、或いはパロディにしたコンテンツ作品が多く見られる。それらは、元の『アリス』のイメージを保持したまま制作された作品もあるものの、例えば携帯用ホラーアドベンチャーゲーム歪みの国のアリス』(サンソフト)や、同人音楽ドラマ『幻想廃人』(CLOSED / UNDERGROUND)など、多くは「ダーク」「ゴシック」「退廃」「狂気」といった、暗いイメージ・負のイメージを伴っていることが特徴的である。
 これらのイメージを伴った、『アリス』モチーフのコンテンツ作品群を、本発表では便宜上「〈黒い〉アリス」と呼称する。原作の『アリス』は摩訶不思議さやナンセンスさを多分に含んでいるものの、日本のサブカルチャーに見られるような〈黒い〉イメージは全面に押し出されてはいなかった。しかし、日本のサブカルチャーにおける受容では、何故このように〈黒い〉イメージが強調されるように"転化"したのだろうか。
 本発表では日本のサブカルチャーに見られる〈黒い〉アリスモチーフの作品例を提示して、その実態を整理する。次に、一次創作であるルイス・キャロルの二つの『アリス』について考察し、そこから、原作がイギリス、アメリカ、日本へと伝達していく過程を踏まえつつ、文学とアニメーション、そしてファッションといった媒体の違いにも注目しつつ、日本のサブカルチャーにおける『アリス』が、何故〈黒い〉アリスとして受容されているのかを探っていきたい。

トーキー移行期における「日本像」の形成および海外への発信
 ―日ソ合作映画『大東京』(1933)の製作・公開を例に―

日本学術振興会特別研究員 フィオードロワ・アナスタシア
 日本を代表する多くの映画人は、大正時代から既に、日本映画の海外進出を強く望んでいた。しかし、映像を通しての日本像の形成が政府レベルで議論され、積極的に海外へ向けて発信されるようになったのは、1930年代に入ってからである。満州事変の勃発(1931)や、国際連盟からの脱退(1933)を機に、国際社会のなかで孤立を強めていった日本は、自国の肯定的なイメージを回復する必要性を認識するようになった。この時期に作られたのが日ソ初の合作映画『大東京』(1933)である。『東京朝日新聞』に支援され、ウラジーミル・シュネイデロフ監督によって製作されたこのドキュメンタリーは、当時のソビエトや日本の映画界においてはまだ比較的珍しいトーキー映画であり、その録音を担当したのは、日本が世界に誇る作曲家、山田耕筰であった。後に日独合作映画『新しき土』(1937)の製作にも携わり、その過程で自らの音楽的理想を断念せざるを得なかった山田耕筰は、日ソ合作映画『大東京』の録音においても、日ソの政治的イデオロギーや文化的な違いから生じる数々の困難に対面することとなった。
 1932年〜1933年当時の日本の定期刊行物には、モスクワの撮影所で録音を指揮した山田耕筰の報告や、日本での撮影を行ったシュネイデロフ監督とのインタビューなど、読者の興味を煽る記事が数多く掲載されていた。しかし、『大東京』が実際に日本で公開されると、事態は一変し、本作品は一瞬にして忘却の彼方へ追いやられてしまった。戦後に入り、映画学という新しい学問が誕生してからも、『大東京』が本格的な研究の対象とされることはなかった。この発表では、日本とロシアで収集された一次資料や、近年ロシアのアーカイヴで閲覧可能となった『大東京』のフィルムに詳細なテクスト分析を施すことで、ソビエト・ロシアから見た戦前の日本像を読み取ると同時に、日本の知識人が海外へ発信しようと試みていた日本の視聴覚イメージを解明し、更には映画『大東京』が映画批評家や歴史家に忘れられてしまった理由についての考察を行う。

比較文学比較文化 名著読解講座第9回〉
ジョナサン・カラーの「とうとう比較文学
 ―『文学と文学理論』を読む―
中村 三春
 ジョナサン・カラー著『文学と文学理論』(The Literary in Theory、折島正司訳、2011.9、岩波書店)は、あらゆる概念枠を否定し修辞批評への徹底を主張したポール・ドゥ・マンの『理論への抵抗』を起点として、文学研究における理論の再興を希求し、現代の文学理論を次々と通観した書であるが、その終末部には、「カルチュラル・スタディーズ」の批判的分析に次いで、「とうとう比較文学」と題する最終章が置かれている。理論への抵抗や理論不毛、理論の終焉が叫ばれてきた昨今の研究動向に一石を投じる本書において、論の掉尾を飾るのがほかならぬ「比較文学」であることはまことに興味深い。今回はカラーの提言を受 け止めた上で、今日の比較文学と理論との交錯点について思いを馳せてみる。

文学と文学理論

文学と文学理論