◇2015年度 日本比較文学会 北海道研究会プログラム

2015年5月29日公開




司会 堀内京・寺山千紗都
〈開会の辞〉              中村三春

■研究発表

朔太郎における世界戦争と恐怖の表象
 ―『月に吠える』と「南京陥落の日に」を中心に―
北海道大学大学院 博士後期課程 陳 セン

帝国を宣伝する植民地文化
 ―朝鮮の舞姫崔承喜の対外宣伝誌掲載を例として―
小樽商科大学 李賢羿(イ・ヒョンジュン)

  (休憩)

■〈比較文学比較文化 名著読解講座第11回〉

平石典子著『煩悶青年と女学生の文学誌―「西洋」を読み替えて』(新曜社、2012年2月)
北海道大学大学院 博士後期課程 齊田春菜
■総会

〈閉会の辞〉              種田和加子

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【発表要旨】

〈研究発表〉
朔太郎における世界戦争と恐怖の表象
 ―『月に吠える』と「南京陥落の日に」を中心に―

北海道大学大学院 博士後期課程 陳 セン
 萩原朔太郎の第一詩集『月に吠える』は、第一次世界大戦中の1917年に刊行された。従来の研究では、『月に吠える』における宗教観、自然観、身体性および詩の形式などが多面的に論じられている。しかし、日露戦争から第一次大戦までの間という時代の文脈は見落とされてきた。また、晩年の朔太郎は、1937年の「北支事変」(中国側では「盧溝橋事変」/「七・七事変」と呼ばれる)から亡くなる直前の1941年までに、「南京陥落の日に」、「昔の小出新道にて」などの詩を作った。「南京陥落の日に」に関する論説の中で、一番多く見られるのは、その詩が「戦争協力詩」であるかどうかを巡る論争である。また、この詩の芸術水準に対する批評も各論者の戦争への姿勢によって多様である。しかし、この作品が朔太郎晩年の作品群及び生涯の詩作にどのように位置づけられるかという問題については論じられることがなかった。さらに、日中戦争下の朔太郎における中国の表象も、十分に検討されているとはいえまい。先行研究として示唆的な意味を持つのは、1999年2月号の『現代詩手帖(特集 朔太郎から戦後詩――詩の「近代」を考える)』に発表された北川透の「萩原朔太郎の戦争」と安智史の「二つの世界戦争のあいだに」という二つの論文である。彼らの研究は、朔太郎の問題は戦後詩の問題と同じく、「戦争と恐怖」の延長線にあることを示している。
 本発表では、これらを踏まえた上で、まず、二回の世界大戦の時代文脈を念頭に置きながら、朔太郎の第一詩集『月に吠える』と晩年の作品「南京陥落の日に」を中心に、朔太郎の戦争思想もからめ、戦争と恐怖の表象を分析した上で、それらに一貫して見られる朔太郎詩の本質を明らかにする。特に、朔太郎の晩年詩群における中国の表象を重視して、朔太郎の「中国観」を考察する。そして、戦後の代表詩人田村隆一における「恐怖」と比較しながら、現代詩史における朔太郎の意味を再考してみたい。

帝国を宣伝する植民地文化
 ―朝鮮の舞姫崔承喜の対外宣伝誌掲載を例として―

小樽商科大学 李賢羿(イ・ヒョンジュン)
 本発表では朝鮮の舞踊家・崔承喜(チェ・スンヒ:1911〜1969)を対象として撮影し、流通していた舞踊写真について検討する。これにあたって、崔承喜の舞踊写真を手掛けた1930年代から1940年代の日本のモダニズムを標榜する写真家たちの仕事を明らかにし、どのような過程や意味合いを伴って崔承喜の舞踊写真が撮影されたのかを論じる。とりわけ、崔承喜の舞踊写真の掲載媒体の転載に注目し、対外文化宣伝誌『NIPPON』の舞踊写真について考察する。
 1934年国際文化振興会の設立に伴い、日本政府による文化の宣伝が本格的に始まったが、そこで、崔承喜のような外地の文化人を日本の文化資源として組み入れる背景には、国際連盟脱退後の国際社会における日本の植民地支配に対する正当性の確保、及び理解を求めることにあった。そして日本の国際的地位の向上を図るべく、このような文化人を政略的且つ積極的に支援し、利用していたのである。1934年に創設された国際文化振興会は、名取洋之助が率いる日本工房社を支援し、『NIPPON』の刊行を援助し続けた政府機関である。日本の伝統文化や近代化を成し遂げた近代国家としての姿を海外に宣伝するこのグラフ雑誌に朝鮮の舞姫・崔承喜の舞踊写真が掲載されているのは特筆すべきであろう。
 そこで本発表では、1930年代以降舞踊写真を通して発信された崔承喜のイメージが日本帝国文化として表象されていく経緯に触れながら、崔承喜を通して展開した戦前の対外文化政策の一端を探る。さらに戦前日本が進めていたアジアに対する文化政策の流れの中で、植民地芸術家のイメージをどのように取り上げていたのかを併せて追究する。

比較文学比較文化 名著読解講座第11回〉
平石典子著『煩悶青年と女学生の文学誌―「西洋」を読み替えて』(新曜社、2012年2月)
海道大学大学院 博士後期課程 齊田春菜
 本書で平石典子が明らかにしたことは、「煩悶青年」と「女学生」といった新しい若者像が、明治中期から後期において、日本文学の中でどのように形成されたのか、ということである。その切り口は、「西洋文学を、日本の知識人たちがどのように読み替えたのか、という差異の部分」(『煩悶青年と女学生の文学誌』はじめに)であった。
 全五章だての本書は、比較文学的考察を主としたきわめてスケールの大きなものである。
第一章では、「煩悶青年」たちを扱い、続く第二、三章では、その「新しい」青年たちの「恋」の相手と目された「新しい」女性たちである「女学生」がどのように表象されたのか、ということが論じられている。そして、第四章では、男性の価値観の変容の様子を西洋文学との接触を軸に考察し、「『煤煙』の男性表象が、自らの弱さを否定せず、「宿命の女」に翻弄されることに喜びを感じる「新しい男」を描き出している」(『煩悶青年と女学生の文学誌』あとがき)ことを明らかにした。最後の第五章では、明治の女性作家たちがいかに男性たちの文学的想像力の産物でもあった「新しい女」を再構築しようとしていたのか、という点について考察が試みられている。
 今回は、平石典子が本書で今後の課題としてあげた「西洋文学の読み替えやねじれをともないながら形成された、自己や他者の表象が内包せざるを得なかった問題点」(『煩悶青年と女学生の文学誌』おわりに)について、「新しい」女性たちである「女学生」を扱った章を中心に考察を試みたい。