◇2016年度 第1回 日本比較文学会 北海道研究会プログラム

2016年6月20日公開




司会 テレングト・アイトル
〈開会の辞〉              中村三春

■研究発表

ビートたけしの笑顔とその影
 ―『戦場のメリークリスマス』をてがかりに―
北海道大学大学院 博士後期課程 井川 重乃

■〈比較文学比較文化 名著読解講座第12回〉

牧野陽子著『〈時〉をつなぐ言葉 ラフカディオ・ハーンの再話文学』について(新曜社、2011年8月)

道都大学 横田 肇
■総会

〈閉会の辞〉              種田和加子

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【発表要旨】

〈研究発表〉
ビートたけしの笑顔とその影
 ―『戦場のメリークリスマス』をてがかりに―

北海道大学大学院 博士後期課程 井川 重乃
 本発表は多面的な活動を行うビートたけし北野武)の、俳優としての側面を取り上げる。ビートたけしは1983年に映画『戦場のメリークリスマス』(監督・大島渚、以下『戦メリ』)に日本兵・ハラ役で出演し俳優として注目を浴びた。お笑い芸人として活動する彼が、映画に興味を持ち始めたのはこの時だった。
 本作で注目されたのは、ビートたけし演じるハラの笑顔。演技力は素人並みと揶揄されたビートたけしだが、独特な雰囲気と不可思議な笑みを当時の批評家たちは高く評価した。黒沢清は『戦メリ』とその後の北野映画との関連性を指摘し、職業としての「暴力」性と、TVスターとしての「笑顔」が並列する北野映画という構図を読み取り、ビートたけしが「理想化された完全なる人格」(黒沢清「ビート氏の“笑顔”について」『ユリイカ臨時増刊号 北野武そして/あるいはビートたけし青土社、1998年2月、41頁)という虚像だと結論付ける。黒沢の指摘を踏まえつつ、さらに『戦メリ』のハラという役柄を具体的に検証したい。
 そのためハラの人物設定をとらえなおすことが重要となる。映画の原作はL・ヴァン・デル・ポスト『影の獄にて』(由良君美富山太佳夫訳、1982年1月、思索社)、原作者の軍役体験を元にして書かれた小説である。登場人物の設定には原作者の他文化理解、また彼と親交の厚かったユングの影響が見られる。
 ハラという男を原作小説から見直し、その後の北野映画で登場するビートたけし演じる役柄との共通項が浮かび上がらせることが本発表の目指すところである。ビートたけしが原作を読んだ可能性は限りなく低いが、映画を通じて汲み取ったハラの人物像が以降の彼の映画製作に影響を与えていることを明らかにする。その影響が北野映画で反復されるビートたけしの「自死」のイメージに、従来言われてきた監督の問題に回収される結論とは別の指摘を導き出せると考えている。

比較文学比較文化 名著読解講座第12回〉
牧野陽子著『〈時〉をつなぐ言葉 ラフカディオ・ハーンの再話文学』について(新曜社、2011年8月)
道都大学 横田 肇
 文学作品は、程度の差はあれ、再話=語り直しに満ちている。それは、シラネ・ハルオ氏の言い方を借りれば、コードの継承と乗り越えであり、作者たちはそれを自身の作品で追求してきた。
 そこで、牧野氏による上記の書であるが、本書はラフカディオ・ハーンの作品の中のコードの継承と乗り越えの諸相、再話の諸相を丹念にたどり、真摯に考察した論考から成る研究書である。
 「はじめに」にあるように、本書での牧野氏のねらいは、「原話をハーンがどのように変容させ、更新したか」、「ハーンの作品において再話文学そのものがどう捉えられているか」、「(他のジャパノロジストとの関係も視野に入れた上で)ハーンが再話文学を通して日本に見出したものはハーンにとってどのような意味をもったのか」、の三点である。そして、この三点が交わる諸相が各章で具体的に論じられるが、その内、第3章、第4章、第5章、第6章、第7章、第9章では『怪談』の諸作品が取り上げられ、おなじみの作品であっても読み方によって新鮮味が出て来るという例となろう。また、第1章ではハーンの日本滞在時の紀行文がエドワード・モースとの比較で考察され、第2章ではマルティニーク時代とその後のハーンとの関係が考察され、第8章ではハーンとチェンバレンとの「浦島伝説」受容をめぐる相違点が述べられ、比較的手薄な分野が取り上げられている。
 筆者はハーンの研究を専門としないが、再話の方法に注目した本書での考察を通し、作品の目の付け所や研究方法の一端が理解され、参考になる点が多い。よって、本書を紹介し、本書を通して皆様といろいろと考えてみたいと思う。学生の皆様にもおすすめの一冊である。