◇2017年度 日本比較文学会 北海道大会プログラム

2017年7月12日更新(教室変更)

【交通案内】

【文学散歩案内】
作成:村田 裕和




〈開会の辞〉
司会 村田 裕和(北海道教育大学

■研究発表 13:00-13:50

夢野久作における「ナショナリズム」の実相
 ―「人間腸詰」と「支那米の袋」における日本―
寺山千紗都(北海道大学大学院博士課程)
司会 井上 貴翔(北海道医療大学
<休憩>

■講演 14:00-15:00

女性作家とトラベルライティング
 ―多和田葉子をめぐって―

講師 立命館大学特任教授 中川 成美
〈討論〉 15:00-15:15
司会 井上 貴翔(北海道医療大学
講師紹介 種田 和加子(藤女子大学
■ワークショップ 15:25-17:10

テーマ《女性作家、その葛藤の痕跡 ―言語・文化・ジェンダー―》

司会 中村 三春(北海道大学
コメンテーター 中川 成美(立命館大学
〈報告1〉 大庭みな子『海にゆらぐ糸』における「ゆらぎ」
 ―アラスカ再訪という体験―
上戸 理恵(東洋英和女学院大学(非)) 
〈報告2〉 高橋たか子「Nonの領域」
 ―後期作品をめぐって―
種田 和加子(藤女子大学) 
〈報告3〉 水村美苗、引っ越し
 ―Moving Rooms 部屋を移る/動く部屋―
高田 知佳(北海道大学大学院修士課程) 
〈討論〉

〈閉会の辞〉           
中村 三春(北海道大学

■総会 17:15〜17:45
■懇親会 18:30〜20:30

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【発表要旨】

夢野久作における「ナショナリズム」の実相 ―「人間腸詰」と「支那米の袋」における日本―
寺山千紗都(北海道大学大学院博士課程)
 今回取り上げる夢野久作の「人間腸詰」や「支那米の袋」などの海外を舞台にした作品は、夢野を「ナショナリズム」にとらわれた作家であると批評する際の根拠とされることが多い作品だ。堀切直人によれば、「人間腸詰」は、アメリカ合衆国を兇悪な敵国として描き出す「国粋主義的心情」を露骨に反映した作品である。また、田端暁生によれば「支那米の袋」はアメリカを享楽的で堕落した資本主義国と見なす、ナショナリスティックなステレオタイプの罠に夢野が落ちていることを窺わせる作品である。
 確かに、アメリカのセント・ルイスでの万国博覧会を舞台とする「人間腸詰」と、アメリカ軍と交流のあるロシアのウラジオストクを舞台にする「支那米の袋」は、それぞれアメリカ人を「毛唐」と罵る日本人と、アメリカ人に蹂躙された被害者としてのロシア人が語り手とされており、そこに反米の姿勢と、それに連なるナショナリズムの思想を見出すことは容易である。しかしそれと同時に注視しなければならないのは、それぞれの語り手が立脚していると思い込む「日本」「日本人」「日本文化」という概念が、“曖昧なもの”として読者に映るよう、作者によって周到に用意されている事実である。そのことは、「日本」を語る語り手が、同時代の日本から排除される、あるいは所属しない立場に置かれていること、さらに、聞き手の側としてあるはずの「日本」が語りから排除されていることに端的に表れるだろう。
 1960年代に鶴見俊輔によって「世界小説」を実現した日本の先駆者として“再発見”されて以来、夢野の「ナショナリズム」に関わる問題は、夢野を批評する際のフレームとして受け継がれてきた。夢野の海外を舞台としたこれらの作品において、夢野における「日本」および「ナショナリズム」の実態についての再検討を試みたい。

【講演要旨】

女性作家とトラベルライティング ―多和田葉子をめぐって―
立命館大学特任教授 中川 成美
 多和田葉子が日本語のみでなくドイツ語でも作品を書き、高くドイツでも評価されている作家であることはよく知られている。また同時に彼女が世界を縦横に飛びまわる「旅する作家」であることも、その作品やエッセーを通じて読者は認知している。言語的な移動、そして身体的な移動を繰り返しながら、多和田が表現する作品は私たちにあることを提示している。私たちが自己の中に設定している「母語」とか「祖国」とは実体をともなった私たちのアイデンテフィケーションの根拠になり得るのかという問いである。国境を横断し、言語を横断しながら、彼女が見出した文学の核について彼女の著書『エクソフォニー』(岩波書店、2008)を中心に、彼女と同時代の作家であるトルコ系ドイツ語作家エミネ・セヴギ・エヅダマの”Mother Tongue"や、スイスに住むドイツ語作家イルマ・ラクーザの『ラングマザー』(2016、共和国)、あるいはまったく接触のなかったベトナムアメリカ人作家モニク・トゥ ルンらと比較しながら考えてみたい。

【ワークショップ趣旨・要旨】

テーマ《女性作家、その葛藤の痕跡 ―言語・文化・ジェンダー―》

司会 中村 三春(北海道大学
 現在、「女性作家」というカテゴリーすら無意味なほど、女性作家たちの活躍には目覚ましいものがある。しかし、このような活況は短時日で成し遂げられたことではなかった。近代において、半ば〈言葉を奪われた者〉として処遇されてきた女性の表現が解放されたのは、多くの先人たちの苦心の所産であったのである。そしてそれは単純に内心の吐露というような生やさしい表現ですらなかった。言語や文化、さらに言うまでもなくジェンダーにまつわる自らとは異質なものとの接触と葛藤を経て、彼女たちの表現が産出された様相は、各々のテクストに見紛うことのない痕跡として刻印されている。
 このたびの日本比較文学会北海道大会におけるワークショップにおいては、特に国際的な位相も含めて、そのような葛藤を内に宿したテクスト群を俎上に据える。すなわち、アラスカで本格的に執筆を始め、現地での体験を踏まえた「三匹の蟹」(1968)で芥川賞を受賞した大庭みな子、1980年代にパリのエルサレム修道会などで修道生活を送り、『亡命者』(1995)ほかの作品を著した高橋たか子、12歳で渡米し長じてプリンストン大学で教鞭を執る傍ら、『續明暗』(1990)を書いて作家としても出発した水村美苗の三人の作家を取り上げて論じる。ここに中川成美講師の再現する多和田葉子の軌跡をも加えて、現代日本における女性作家の総合的な研究を目指すものである。
 聴衆も含めてワークショップ参加者は、女性作家をめぐり、各世代にわたるパネリストの奏でる真摯な思考の協奏曲という、希有な出来事に遭遇することになるだろう。すべての参集者の皆さんによる活発な論戦を期待したい。

〈報告1〉 大庭みな子『海にゆらぐ糸』における「ゆらぎ」 ―アラスカ再訪という体験―
上戸 理恵(東洋英和女学院大学(非)) 
 かつて暮らしていた町を長い時間を経てから再訪すること。その体験の中では必然的に「記憶」という主題が浮かび上がってくる。〈再訪〉という体験が記憶の確かさをゆるがせていく感覚。それは、延いては人間存在の輪郭がゆらいでいく感覚でもある。本発表では、大庭みな子が11年を過ごしたアラスカへの回想と再訪を描いた作品集『海にゆらぐ糸』(1989年)において、記憶や存在の「ゆらぎ」がどのように描かれているのかを考察する。
 表題作「海にゆらぐ糸」では、アラスカを再訪した「わたし」が、過去の記憶と齟齬が生じる出来事に直面し、「長い過去の糸がこんぐらかって、深い海の中の辺り一面にゆらいだように思った」と感じる場面がある。この感覚は単なる記憶の混乱にとどまらず、現実そのものがゆらいでいく感覚に繋がっており、さらにそれは作中における出来事を語る言葉のゆらぎとも重なっていく。
 アラスカ再訪を終えて日本に帰ってきた後の時間が流れる「黄杉 水杉」の中には、『海にゆらぐ糸』に収められている他の作品を連想させるキーワードやエピソードが散りばめられている。結末部には「とりとめのないことを次から次へと思い出している」という「わたし」の語りとともに、思いつくままにこれまで作中に出てきた語句、作品名、作家名、人物名などが列挙される。そこで想起される記憶は、およそ二十年前にアラスカで過ごしたときのものだけでなく、アラスカを再訪し友人たちと再会したつい最近の出来事、さらに現在いる日本の風景も含んでいる。
 過去も現在も、記憶も夢も現実も「作り話」も、すべて溶け合いながら連なる世界。それは『老子』に代表される東洋的混沌として作中でイメージされるが、西洋人である作中人物たちもまたこの混沌を生きる者として描かれている。先住民たち、ロシア、アメリカ、ヨーロッパからの移住者たちが共生するアラスカにおいて、東洋と西洋をはじめとする複数の文化の交差・混淆がどのような意味を持つのかを検討したい。

〈報告2〉 高橋たか子「Nonの領域」 ―後期作品をめぐって― 
種田 和加子(藤女子大学) 
 文化的慣習や諸手続きなど様々なレベルの差はあるが異国において、「拒絶」されることほど身にこたえることはない。場合によっては生存すること自体をも直撃する試練であるからである。世界の各地で「壁」や「閾」の手前で立ちすくむ多くの人々がいる今日、高橋たか子の長きにわたる創作活動の終盤の『亡命者』(1995年)と『きれいな人』(2003年)をとりあげ、「Nonと言われること」/「Non と言うこと」を問題化する。
 『亡命者』では、警視庁と「プスチニア」(「いと高き貧しさ」(アガンベン)が実践されるパリの屋根裏部屋)を往還する「私」は半年ごとの滞在を保障する法的な措置の関門で「Non」あるいは「trop tard」と言われる恐れや不安を繰り返すことで、政治的理由で亡命を余儀なくされた人間の歴史や、ユダヤ人問題を意識する。「プスチニア」の住まいで出会った老婦人からよく知っていたはずのサルヴェ・レジナの歌詞の意味がpauvres enfants d'Ève exilés、つまり、「亡命」という意味を含んでいながら「「旅路」などという感傷的な日本語のせいで知らなかったとは」と愕然とし、「私」は母国語である日本語に「ノン」といわざるをえない。『亡命者』という作品はこのような言語的葛藤をはらんで「私」の存在様式とともに終わりなき「亡命」の旋回運動を描く。『亡命者』で作り上げた素地は、『きれいな人』では、ブルターニュ地方へと舞台を移し展開する。
 第一次世界大戦の激戦地「シュマン・デ・ダム」の戦いで記憶喪失になったミッシェルが「ノン」としか言わない男として登場する。その彼を愛した令嬢にも結婚の返事の土壇場で「ノン」と言ってしまう。彼を愛するイヴォンヌは、「シエール・アミ」としか言われない(それ以上発展のしようのない)自分をなだめながら、事実か虚構かの区別のつかない彼にまつわる話を延々と語るのだ。イヴォンヌの一人語り、シモーヌ夫人の手記によって生成する「記憶の場」にかかわるのが「私」である。「ノン」はいかに他者に作用し、「例外状況」としての戦争とかかわったのか。二作品とも宗教的内容を含むが、あくまでも(非キリスト者を排除しない)「小説」として考察したい。

〈報告3〉 水村美苗、引っ越し ―Moving Rooms 部屋を移る/動く部屋―
高田 知佳(北海道大学大学院修士課程) 
 「日本語には〈引越し〉という、その行動のみを分節化する言葉があるのに対して、英語にはとくにそれのみを指示する言葉は存在しないのである」と、富山太佳夫は「漱石、夜逃げ―ヴィクトリア時代の引越し―」のなかで指摘する。十九世紀のイギリス社会においては、「引っ越し」という行動が日常の一部として行われていたために、それを把握する言語表現を特別に必要としなかった。
 一方、12歳で家族と共にアメリカへ渡った、帰国子女作家である水村美苗の作品は一貫して「部屋」を求める物語、それも「書き物をする部屋」に焦点化した物語であると言える。水村自らが己の作家の原点として繰り返し語るエピソードも、日本の家からニューヨークの家へと「引っ越」し、ニューヨークの自室で日本から持って来た『現代日本文学全集』(改造社)に読み耽る話であり、水村のエクリチュールにおいて「移動すること」と「読むこと・書くこと」は同時に特権化されており、その二つの出会いの場が「部屋」である。
 近代小説において「部屋」の描写と「所有者」の人となりとはおよそ相関関係にあるが、水村の場合、その「部屋」自体がある時は偶然に、ある時はやむにやまれぬ理由で、「所有者」の与り知らぬところで変容してゆく。そこでは「部屋」と「所有者」との関係は不断にズレつづけ、更新されつづける。「書く部屋」を対象化することそれ自体が、日本語と英語の間でつねに移ろい変わる自我を対象化せざるを得なかった水村の小説的戦略に他ならない。
 本発表では、水村美苗の全小説作品『續 明暗』『私小説 from left to right』『本格小説』『母の遺産―新聞小説―』、および評論エッセイ『日本語が亡びるとき』を貫通する〈場〉としての「部屋」の描写を糸口に、水村が問題化している「翻訳」のポリティクスを明らかにしたい。